厳密ではないけど無理やり直観的な話にすると、内積とは
「ベクトル a が物を引っ張るとき、
a の仕事に対して ベクトル b がどれだけ協力的か?」
というのを表している(と思うことができる)。
a と b が同じ方向を向いていれば、b の協力は a にとって大変助けになります。(内積>0)
θが+-90度だったら、b が引っ張る力は a にとっては 0 であり、助けにも邪魔にもならない。(内積=0)
θが+-90度を越えると、b の「協力」はむしろ a にとって妨げになる(内積<0)
> すごく邪魔そう
まあこの辺が例え話の限界ぽいとこなんだけど、
極めて短時間で見ると、bが90度なら aの邪魔にはならないってのはいいですかね?
その状態が続くと、物は a と b の両方に引かれてしまい、物を中心とした a と b とのなす角が 90 度ではなくなり、実際には90度以上になるので速やかに「邪魔」状態に移行しまうわけです。
つまり、さっきのは微小時間でしか成立しないたとえ話なのでした。
この辺が「なんかだまされた感」「納得できない感」につながり、物理ぎらいとか数学ぎらいに繋がりがちなんですよね。
それでも、とても抽象的な概念である内積に一定の具象的イメージを与えるものとしては悪くないなと思っています。
あと内積を「かけたもの」と言わない理由ですが、ベクトルの場合「かけたもの」がたくさん(内積・外積・ベクトル積)あるからってのもありますね。