小学校6年から中学生の頃は、当時のマイコンゲームはカセットテープを買うより、マイコン雑誌に投稿されて載ったゲームのリストを、自分で打ち込むのが当たり前だったので(家でなくマイコンショップでやる人もいた)、そのリストを見て勉強しました。当時から今まで生き残っている雑誌は「I/O」だけです。  ただしBASICのゲームは非常に遅く、高速なゲームは「機械語」という、非常に難しいプログラム言語でないと、作れませんでした。「スーパーモンスター」も、その頃のゲームからの移植です。    それはもう今から35年以上前の話ですが、当時マイコン雑誌に投稿していた学生の常連がその後、「ドラゴンクエスト」「ハイドライド」「ぷよぷよ」などの傑作を生み出すゲームプログラマーとして、大成して行きました。